2006年09月30日

入院

記憶がさだかではありませんが…

木曜日、またODをしてしまいながら、原チャに乗りました。
彼の母に手紙を渡したかったのです。
同じ頃心配した母と姉がこちらにむかってました。
いつもの道をふらふらの身体で走ります。左折する前の車に気付かずそのままぶつかりました。
救急車がきます。
救急隊員に力をふりしぼり姉と母がきている。と携帯を渡しました。
それからの記憶はありません。
ただ気付いたら仕事のはずの彼が病院にいました。

怪我は軽症のためそのまま心療内科に彼と行きました。主治医に「私より彼が限界です」といい彼一人を診察室へ行かせました。
このあたりも記憶がありません。

その後母と姉が近くのファミレスにいたので向かいました。
はじめに「母と彼」
その後「彼と私」ではなしをしました。
彼の疲れ切った姿をみたパニックの私は「離れた方があなたは幸せになるね」
彼「俺はもう限界」

彼の実家に「息子さんに辛い思いをさせてもうしわけございませんでした」と謝り
渡したかった手紙を渡しました。

パニックのままその後どうしたのか覚えていません。ただ姉の家に強制送還されてました。
夜は少し落ち着いていたと思います。

金曜日

朝一に彼に電話をしました。
「やっぱり私の居場所はあなたとすごしたあの家しかないのだから入院して元気になるからもう一度やり直そう」
彼はそれはできない。一点張りでした。
そのままパニックを起こし「包丁をかして」とさけんでました。すぐに救急車を呼ばれ病院へ。
彼もこちらにむかってきていました。

診療室に入り担当医に母と姉が事情をはなします。
その頃かな…彼が病院につき診察室を飛び出し抱きしめました。
彼も交じって主治医の話はひどいものでした。
「あんたはうつ病じゃなくて弱いだけ」
「育った環境が悪いから」
私はその話を聞き入れられず道を塞ぎ大泣きしました。
私「いつもの病院にいきます。デパス1_を一錠下さい」」
担当医「デパスなんてなんの効果もないよ」
私はパニックの限界で診察室を出ました。
心配した父もきてくれてました。
別れた父と母が私の為に会っている……

そのまま奈良にむかいました。私は彼と話をしたいと家に帰りました。
「入院して元気私を見せるからつきあっててあなたが必要なの」」
彼は「俺もどうしたらいいかわからない」

私は彼の為に作った朝食と昼食を皿ごとすて彼の目の前で二人の思い出の写真を破りました。

カッターをとりだし「別れたんだからなにしてもいいでしょ!!事故で死ねたらこんなつらくならずにすんだのに」
彼は私からカッターを奪い取りました。
パニックはおさまりません。


通っていた心療内科に父と母がいってきてくれました。
私は母に抱き着きなきじゃくります。
父は彼へ説得です。

私は「今夜はここでひとりでねたい」だだをこねました。片付けをして死ぬ気だったのです。
でもやっぱり大阪に強制送還です。
お酒の力でをかりて姉の家でねむりました。
朝かかりつけね医者に電話し入院先は昨日運ばれたとこです。
携帯禁止ですがみなさんに伝えたくてこのblogをかいてます。
まだパニックがおさまりません。
前向きになれません。死にたいです。

退院をした後彼と住める保障はありません。病院にいても苦しくてたまらない。

あいまいな部分はミルクこと私の母のコメントをみてください。
posted by donguri_mt at 22:43| 奈良 ☀| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
28日は彼女と主治医のところへ行って、しんどくなっている彼のことをお願いしようと言うことで、奈良に向かっていました。

事故と聞き生きた心地がしませんでした。素直に薬を飲みすぎてふらふらで運転していたようです。幸いなことに相手の車の方に怪我もなく彼女も擦り傷程度で済みましたが、心には大きな傷痕が残りました。

傷の手当ての後、いつもの主治医の先生のところに二人で行って来るから、どこかで待っててと言うことだったので、姉たちと待っていました。
主治医との話はお互いがしんどくなっているようなので、入院して少し充電して健康な思考ができろようにしたほうがいいのでは、と言うことでした。

でも彼女は自分がいなくなれば、みんなが解放されると思ったそうです。自分から別れを言って、しんどくなっている彼を解放したかったようです。そして健康でない彼女を心配して交際に良い印象のないお母さんに対しても、別れたほうがほっとされるのではと思って、勝手に行動に走ってしまいました。

自分で別れという極端な行動をしたためにもっと自分を苦しめてしまって、自殺をほのめかしたので、強制送還しました。

彼も彼女をここまで追い詰めたのかと責任を強く感じていて、限界に近いようでした。
でも私は彼の責任でもなんでもないと思います。人は同じ言葉でも励まされたり、勇気付けられたり、傷ついたりします。聞き手の感情や心の状態でどのようにも聞こえるのです。だから、時として傷つくと分からずに言ってしまうのです。傷つけようとわざと言うのは犯罪に近いと私は思いますが。

強制送還後泣いたりわめいたり、何度も何度も繰り返し後悔の言葉と死にたいという言葉。本当はいけないとことだけどアルコールの力を借りて少し体を休めさせました。

私とジェニーは寝ている間にもしもと思い、ずっと見守っていました。
朝起きてからはパニックまでのことは本人の言うとおりです。
パニックになったら救急車で行こうと昨日彼女にも了解を得ていたので、病院に運びました。
「ここなら入院してもよい」と少し落ち着いてきた彼女は言いましたが、担当の先生からは、家族全員が傷つく言葉しかかえって来ませんでした。
人格否定されたような気分を私も味わいました。

奈良へ帰って主治医の先生に相談しようということになり、一旦また奈良に行きました。
彼女は彼と話しをしたいということだったので二人にして私たち元夫婦は主治医の先生に会いました。

彼女が信頼しているとおり、親身になって病院探しをしてくださり、家族と病院の先生と彼と連携をとりながら治療に当たっていくとこを決めました。
二人のところに戻るとまたパニックに陥りそうだったし、病院が決まったらすぐにいけるように大阪にまた強制送還しました。

彼ともう一度やり直したいという気持ちが生きようとする力に変わり、入院までたどり着きました。
今後どう変わっていくか、まだまだ時間はかかりますが、自分で混乱せず、柔軟な考え方ができるようにカウンセリングが進めばいいなと思っています。
Posted by milk at 2006年10月01日 00:25
D_mtさん。とにかく生きてらして、ほっとしています。ずっとずっと、心配していました。

 この数日、いろんな事があって、大変でしたね。今は入院中との事。ゆっくり休んでください。皆さんとの食事が苦痛なら、お部屋に運んでの食事にできないでしょうか?私の経験上、やはり三食、一口でも食べる事が明日につながります。私は昔から具合が悪くなると(風邪とかでも)1日でも2日でもなーんにも食べないでも平気だったけれど、それは間違いだったのです。だから今は、食パン半分でもミルクで流し込むようにしています。

 うつ病がひどい時は自分でも本気でない事をしてしまうものです。本当は彼と別れたくないのに、その方が彼にとっても、彼のお母さんにとっても良いと思ってしたことなのよね。でも、本心じゃなかったし、彼との別れも考えられない…。それは全てうつ病という病気がさせたことです。心無い言葉を家族やD_mtさんに投げたヤブ医者のことは、即刻忘れることです。日本一のヤブです!
 
 きっと治療が進めば、D_mtさんの考えも前向きになれるはずだし、彼もあなたのいない部屋で一人になって、いろんな事を考え、落ち着く事でしょう。

 焦ってはいけませんよ。眠れない時、受付に行って頓服をもらった事、偉いです。そうして少しずつ本当の自分を取り戻す…というか、知らなかった本当の自分が、出てきてくれるのです。私がそうでしたもの。(多重人格と言う事ではありません。)本来の自分の自然な姿と言う事かな。

 私は何度入院させて欲しいと頼んでも、入院させてはもらえなかったです。だから、究極のところまで来てしまって離婚になってしまったのだと思います。でも、D_mtさんには、お母さんもお姉さんもお父さんもそれに、彼もいる。そして、ゆっくり休める環境を整えてもらったのですから、まずは今は、いろいろな後悔の気持ちがよみがえってくるでしょうが、それは過ぎ去った事。前を向いて進む事を考えましょう。一歩でも。半歩でも。  
 周りと話がしたくないときとか、回りの音が聞きたくない時は、MDプレーヤーなど差し入れてもらって、イヤホーンで聞いたら良いと思います。隣の人がいやならカーテンか、パーテーションを置いてもらうと良いかもしれませんね。

 私はブログのほうには書いていませんが、長女が精神科に入院した経験があります。他県の病院だったので、大変でしたが、彼女にとって、良い経験になったと思います。今は元気にしていますよ。

 あなたのことをいつも想っています。byゆい
Posted by ゆい at 2006年10月01日 12:17
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